第 6 号
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-- 話題 --
食卓は大丈夫か
農葉開発医薬品より厳しい試験認知へ10年,数10億円
 

 9月中旬,安全な食べ物を求める市民グループ,大阪府有機農業研究会のメンバーが河内長野市にある農薬メーカーの研究所を訪れた。
 同研究会の世話役,坂田洋美さん(44)=大東市=は約10年前,息子がアレルギー性のぜん息で入退院を繰り返したことをきっかけに,安全な食べ物について考えるようになった。
 「向こうを困らせるような質問はせず,とにかく聞いてみよう」という姿勢で,見学するつもりだった。農薬についてすべて否定しているわけではない。農薬が戦後の食糧増産に貢献したのもわかる。ビデオを見た後,施設の一部を回った。が,メーカー側の説明は納得できるところまでいかなかった。「最終的には考え方は違うかもしれない。でも,もっと安全性について教えてもらえるのではと思ったのに」と振り返る。

世界一の使用量
 この8月,埼玉県大宮市で開かれたアジア太平洋消費者会議で,1ha当たりの農薬使用量は日本が世界一という報告があった。ヨーロッパが1.87kg,アメリカが1.49kgに対し,日本は10.79kgにも及んでいるという。
 1987年10月から翌年9月まで(88農薬年度),国内で生産された商品としての農薬は約54万tにのぼる。しかし,農薬の生産量は74年度の74万7千tをピークに減少傾向をたどっている。水稲の滅反による影響が大きい。
 1つの農薬が開発されるためには,「10年前後,数10億円」という単位で.研究,苦労がいるという。国内の農薬で,生産量の最も多い「スミチオン (MEP〕」という殺虫剤がある。イネにつくニカメイチュウ,ウンカ,野菜のアオムシ、アブラムシなどに効くとされるが,ハエ,カ,ダニなどの駆除用に家庭や下水道でも使用されている。88年度はアフリカのバッタ対策に需要が増えたため,原料(原体)としてのスミチオンは過去最高の約1万余tが生産された。東南アジアではマラリア対策にも用いられる。1つの農薬が幅広い目的に使われるようになった例でもある。

巨資も無に帰す
 それを開発した住友化学工業は,兵庫県宝塚市に総合研究所を,大阪市此花区に安全性研究所を持つ。農薬開発には,年間研究費370億円の4分の1程度を充てる。安全性研究所で飼うマウス,ラットは合わせて1万5千匹。均一に飼育するために,実験室は気圧まで調整されて外から雑菌が入らないように完全に遮断されている。世界的にも最新鋭の設備を誇る。
 農薬の登録に必要とされる安全性試験は,急性毒性,慢性毒惟,発がん性,遺伝的性質が変化する変異原性など18項目にわたり,すべてクリアしなければならない。だから,安全性をパスし,農薬として世に出てくるのは手掛けた2-3万件の試みに1つという割合という。宝塚総合研究所の宮本純之所長は「一直線でバッといけるぼど簡単なものではありません」。
 76年,同社はイネのいもち病に効く化合物「S-1901(クロベンチアゾル)」を4,5年の研究の結果として開発。薬効が抜群で,以後,製剤技術,各種試験もクリアし,あとは長い期問の蓄積が及ぼす影響を見る慢性毒性試験の結果を侍つだけになった。しかし,マウスは大丈夫だったものの,ラットから慢性じん炎の症状が見つかった。85年秋のこと。開発過程から考えると,15年近くの歳月と,関連の化合物の研究と合わせ30-40億円にものぼる研究費が,消えた。

要は減らす努力
 宮本さんは言う。「医薬品が人間だけを対象にしているのと比べ,農薬は環境,生物すべてに悪影響があってはならない。その意味で医薬品よりむつかしい」
 最近の農薬論議については言葉を強める。「決められた量を使えば何ら問題ない。要は使っている条件の下で毒性をいかに少なくするか。天然だから安全というわけでは決してない。ピーナッツやトウモロコシ,ワラビなどのカビ毒がわかっているが,それをそのまま食べるか,殺菌剤で消毒して食べるか,という問題です」
 ダイオキシンを始め,環境間題に詳しい愛媛大の立川涼教授は「量と毒性の問題は途方もなく難しい。しかし,生物への蓄積,慢性毒性の研究は必ずしも十分ではない。環境を考えれば,使用量を減らす努力が必要だ」と話している。
 農薬は生活と切り離せない分野,気づかないところまで,広く入り込んでいる。

摂取許容量の計算法
 慢性毒性試験の結果から,実験動物にその薬剤を一生涯与え続けても影響が出ない「1日分の量」に,10分の1から1000分の1をかけたものを,人に対するADI(1日摂取許容量,単位mg〕という。体重1kg当たりの数量。例えば,スミチオンは0.005。これは,体重60kgの人なら,毎日0.3mgずつ一生涯摂取しても異常ない,という量。

(1989年10月24日 朝日新聞)